tossy

アヒルが、ガーガー

答え合わせの後/連続性

2022年5月。帰省もせぬまま酒と過食に溺れたゴールデンウィークを経て、突然ではあるが、ずっと前から「やりたい」と考えていたパーソナルトレーニングに通い出す。ゆくゆくは一人でジム通いができるよう習慣付けることを目標に、トレーニング方法や食事の指導をしてもらいながら、週に2回ウェイトトレーニングに取り組み始める。タンパク質を多く摂取する食生活もトレーナーさんに会う日々がモチベーションとなり、お盆に帰省する頃には「これくらいの身体が維持できればいいのに」と思えるくらいの状態に到達できた。全治3か月などと思っていたので、予定通りの出来事だった。

2022年7月。一昨年からひとつの目標としていた、仕事先での正社員登用手続きがようやく進む。かつて退職した会社で、しかしここ約一年半(見た目の上では)コンスタントに業務を外注スタッフではありながらも取り組み、それを踏まえての正社員化。再度この会社と関わっていくと決めたときからの目標であり、業務量やリモート前提の働き方から言っても「社員としてやっていくほうが良い」と自他ともに納得し合えた上での正社員化だったので、時間は要したが予定通りの出来事だった。

2022年7月末。住んでいる賃貸の更新タイミング的に「決めるならここしかない」という数日間に、重い腰を上げて新居を探し、内覧に行って申込をする。正社員の雇用契約を済ませていたということも、審査の上で大きな要素であった。

2022年8月。共に働くチームも、社用アカウントも変わらないまま、社員として仕事をし始める。前月に大きな仕事が終わったタイミングやったり、帰省が挟まったりで、今ひとつガツンという仕事がないまま、新居の契約などを進めたりする。帰省先で一人ジムに行ったりなども、予定通りの範囲内ですることができた。

2022年9月。家族が手伝ってくれつつ新居へ引越し。以前の部屋より随分と広い物件を選んだため、慣れない感じもありながら、少しずつ必要なものを買い足したりしつつ、部屋を綺麗に保つにはどれくらい掃除など意識すべきかなど迷いながら過ごし始める。急いでどうこうする話でもないので、今ひとつ注力できない仕事をぼちぼちと取り組みながら、予定していた範囲内で新たな暮らしを始めて行く。

2022年9月末。新居の広さや小綺麗さになかなか落ち着かず、どうも今の仕事に主体的な意識を持てる取っ掛かりが見出せず、加えて季節の変わり目からか新生活に感じるプレッシャーからか寝付きが悪く、飲酒量が増えたり、トレーニングをし始めてから回数がグッと減っていた過食が連日戻ったりする。パーソナルトレーニングは前の住居近くにあり、通える残り回数も少なくなっているので、まずは新居近くのジムへと通い出すものの、なかなか頻度が上げられない。

そして2022年10月。今。不眠から逃げるための過食が金土日と連日続き、パンパンに浮腫んだ憂鬱の月曜を迎え、少し我に返る。ここまで書いてきた、何というか「予定通りに物事が進み、設定していた目標が自然に満たされていく」期間が終わり、その後の変化に対する戸惑いの時期も「あんまり長く続けててもなぁ」という気になり、その結果として眠気が取れない、次の目標が仕事的にも生活的にも見当たらない、ある意味で本来の怠惰な自分が、やけに広くて綺麗な部屋にポツンと取り残されてしまったような感覚がある。

社員として働くことについて、さあこれからどうして行きたいのか。安定した雇用が確保されることが大切やろうというところまでは考え、その先はまた考えようとしていただけなので、今のところポカーンとしながら与えられた仕事をやっているだけ。もちろん答えは「やりながら考えて行けば良い」しかないことは分かっているが。

生活について、在宅で仕事をしてもストレスじゃない広さが欲しくて、実際それを確保することができた。新居のことはとても気に入っているが、別に広い家に住んだから自分が自然と大きくなるわけでもない。前の住居が広さや環境的に限界やったことは認めるが、じゃあ新居に相応しい自分であるかというと、やっていることはまるで変わらないまま。

以前の生活と連続性が絶たれているわけじゃない。ただ、予定や目標に則って過ごしていれば自分の前に良い変化が次々やってきてくれるという、なんというか「答え合わせ月間」みたいなものが数ヶ月続き、疲れてもその日々から容易く得られる多幸感みたいなもので気楽に過ごせる期間が、ここ10年くらいの自分にまるでなかったものだったから、その蜜の味がまだ舌に残っているんだろうとは思う。

それが終わった落差と、実際問題として新生活へ適応がまだ進んでいないことへのストレスや、社員として長く会社に関わっていくことへの不安などから、過食が続いたのも理解はできる。過食は10年よりさらに長い期間にわたって自分にある習慣なので、それはそれで連続性とも言える。

とは言え、トレーニングすることや、自分に罪悪感を残さずにいられる食生活も、新しい武器として身につけたはず。そこそこ油断もしながら、それらをまた再開していけば、そう大きな問題にはならない。今年5月からの取り組みと、今の自分との間にも、連続性は確かにある。ベンチプレスする時の景色だって少しずつ見慣れてきたじゃないか。

変化に身を委ねていれば良かった期間は一旦終わり、ようやく我に返ったのが10月だった、ということであったとして、まずそれを落ち着いて認識するところに立ち返らないと、未来のこと何も考えられへんなと思い、久々にブログを書く。

(ずーっと答え合わせ月間みたいな日々が続けばいいのに、とは思いたいが、実際そうは考えていなかった気がする。ここ数年取り組んできたことの辻褄があったことは、環境的にも金銭的にも大変な幸運やったと思うけど、どこかやっぱりそういう日々は長く続くもんじゃない、続いているように見えるならそれはどこかに嘘や綻びがあるものやろう、と薄らは思っていたんじゃないか。何事もちゃんと一旦の終わりが来て、我に返るタイミングは来る。それが「今回は10月がそのタイミングやったね。確認オーケー」とすることで、次にやることをちょっとずつでも考えてみたい。いつまでも浮ついていてどうするよ、日常へ回帰しなはれ、いい加減に)

(あるいは、今の自分では想像できないような、より大きな質的変化に立ち向かっていくため、まずは自分が自分に起こせる変化にはここまでで取り組めたものの、しかしここからの変化は、他者を交えてのものであってほしくて、でもそこには想像通り・予定通りには進まない偶発性もいっぱいあるやろうし、そもそもそんな変化が起こるんか?という気持ちは超大きく実感としてあるし、でもそういうのが次の「未来」であってほしいよな、とも浅はかに思ってしまうが故、広い部屋に一人残された寂しさに目が覚めた、ということなのかもしれない)