tossy

アヒルが、ガーガー

注意しながら自分を扱う。

  • 最低限やることをやって、他はあまり何もしていない。活動量と体力を向上させなければなあと思うものの、梅雨の期間真っ只中ということもあり外へ気持ちが向きづらい。
  • 対話の際に柔らかで、しかし明確な拒絶を示してきた友人を、見習いたいなと思った。何でも受け入れるのは実際の所その場をしのぐには楽なんやけど、ある意味において相手にも自分にも誠意を欠く行動と言えるのかもしれない。意識して、イエス・ノーの使い分けをできるようになりたい。
  • マンネリでやる気が起きづらい日々のなかでも、何日かに一回とか自由行動として「気が向く」瞬間がある。そこはなるべく見逃さず、行動へ移ったほうがいいなと感じる。その一環でたまにではあるが、掃除とかをしている。トイレ、キーボード、窓サッシの溝……などなど。
  • 洗濯物が乾きづらいシーズン。部屋干し・外干し・浴室乾燥機を活用して、何とか嫌なニオイが残らないように気を遣っている。オシャレして外出したり、決め込んだ服装で人と会う機会がめっきり減っているので、ほとんど部屋着みたいな服装ばかりを着て洗って干して着ている。何だか悲しい。
  • 間が持たなくてタバコを吸いすぎている気がするし、お酒を飲みすぎている気もする。
  • 近くのスーパーで売っているお惣菜で、れんこんチップス(ガーリック風味)がある。お菓子や炭水化物を抜いている期間なので、これがすごく嬉しい。あと、明星 ローカーボNOODLES 鶏がら醤油にもだいぶ助けられている。

f:id:tossyhtn:20200713125030j:plain

"SUGOI DEKAI"

京都・宇治で悲しい出来事があってから 1 年が経とうとしている。この件について必要以上に考えたり、情報を集めたりはしていない。出来事そのものに対して自分がどんなことを思ったか/どんな反応を示したかはきっとそう簡単には忘れないので、まだ書き残したりはしないでおこうと思う。なんとなくそんな気分でいる。

ただこれで自分がよく分からない日々を送るようになって 1 年が経ったことは記録しておこうと思う。その後、新型コロナの影響で世の中が変わったからというわけではないが、そういう時勢の変化も相まって、ここ数年間の自分と今の自分は少し変わってきている気がする。自分へ素直になろうという意識が内在化してきつつあるというか、それを他の尺度よりも優先して行きたいという気持ちが強くなっているように感じる。

気が向いたらやる、で基本的にはじゅうぶん。やりたいことが思いつけばその日はめっちゃラッキー。まずはなるべく物理的に清潔な状態で生きる。急ごうとしている自分のことは注意する。

できるだけしっかり寝る。気分は変わる。肩の力を抜いて。姿勢悪くてもいいから。

悲しみに引きずられてしまうと、もう本当にどうしようもなくなってしまう。たしかに「何の意味があるんや、これ」という言葉はキラーワードだ。徒労感や虚無感はめちゃくちゃ簡単に発生するし、何なら常時発生している。でも人生はゲームじゃない。生きて死ぬことはそんなに単純なことではない。やっぱり複雑だし、複雑であるべきだ。

ひと言で済ますのが嫌いだ。分かりやすくは居続けられない。一色だけで塗り潰された存在にならないように、自分をちゃんと保護しながら生活していけるように、そこだけは気を引き締めて、毎回できるだけ注意して、これからを迎えて行きたい。

事件のあと、帰省したその足で焼け落ちたスタジオ跡へ向かった。報道陣が献花場へ多数のカメラを向けている脇を抜け、手だけ合わせてその場を去った。思い入れがある場所でもそれはそこに人が居るからこそであって、誰も残っていない火災跡はただただ空虚だった。

あれから決して常に良い状態で生活できてきたわけではないが、本当にゆっくりでかまわないので自分のことを大切にして、どうにか生活し、何かをまた得られるように歩んでいきたい。また、きっといつか。出会ったことは嘘じゃない。