tossy

アヒルが、ガーガー

月末、引越しで慌ただしいオフィスから。

何か、書いておきたいと思った。自分だけが読む文章ではなくて、こうして誰かに触れてもらえる可能性がある場に、ただただ何かを書き残しておきたいと思った。

なんだかんだ 4 年ほどお世話になったオフィスから、今日は隣駅のビルへ引っ越しがあるため、フロアはバタバタとしている。皆が軍手をつけ、箱に荷物を押し込み、運び先を示すコードが書かれたシールを段ボール箱に貼っていく。僕はと言うと、引越し先のオフィスには固定席を設けられなくなったので、持ち帰る私物をまとめ、部署の荷物を少し詰め込んだだけ。

今の僕には、運び先を指定できない。物理的に席がなくなったから。このオフィスに通い始めたのは 4 年前になるが、途中で僕は会社を辞めて、今はフリーランスの立場。ただでさえ席数が少ない次のオフィスに、席を設けてもらえるような余裕はない。まあ、寂しいけれどしょうがない。

話は少し脱線する。

このオフィスに通い始めてから 2 年ほど経ったときに、精神的に調子を崩して、それから同じ先生にカウンセリングを受けている。いろんな話をするが、先週のカウンセリングで「自分の中に自分が住んでいない」ということを言われた。ちょうど、最近ふとした瞬間に「僕は今、どこに居て、何をしてるんだろう?」とぼんやり思うことがあったので、その言葉は意外なものではなく、なんとなくしっくりと感じられる指摘だった。

僕は今、どこに居て、何をしてるんだろう。乗っていた電車が終点に着き、ホームへ降り立つと「新宿」という駅名が読んで取れる。確かに今その時、僕は「新宿駅」には居る。借りぐらしの住まいは都内にあるし、居住地だってその住所を区役所へ提出している。物理的には、そうだ。

でも、自分がどこに居るかが掴めていない感覚がある。言い換えるなら、自分がここに確かに存在しているという実感が欠けているとも言える。今日またひとつ、自分の物理的な居場所が無くなる。精神的な居場所は、きっと随分たくさん失ってきた。その上で、自分のなかに自分の居場所を見出だせていないというなら、果たして僕はどこに存在していると言えるのだろう。

あまりこういう文章はよくない。積み上げられた段ボール箱に溢れるオフィスで、忙しなく動き回られている人たちの姿に、行き先がない自分を照らし返して感傷的になっているだけなのだ。許してほしい。

引越し準備が遅れてきた上司が帰ってきたので、手伝って今日を終えることにしよう。自分は今どこに居て、この先どこへ行くのか、見通しが立っていないけれど、手伝えることは手伝っておいたほうがいい。