tossy

アヒルが、ガーガー

ningen da mono

生物やから、食べたもの・飲んだもの・吸ったもの(すみません、喫煙者です)が血となり肉となることはもちろんのこと。でも、観たもの・聴いたもの・心を揺らしてくれたものが、人間ゆえに血となり肉となっていること、そしてそういう所から出立するしかしょうがないんやということを、この歳になって、27 歳という中途半端な年齢になってようやく気付き始めている。

「正論」は、僕も度々口にしてしまう。でも「正論」がどれだけ高圧的で、相手の事情を無視した上での発言なのかという点については、いつも意識する。自分が「回りくどい表現」とか「無駄話」を多用する作家にどうして協調してしまうのか改めて考えてみると、そういう「正論を述べることの強迫性を緩和しようと試みてはいる」というスタンスに同調しているからなのかもしれない。

自分の中に様々な役割が同居していることは認めるけれど、不器用な「僕」は、いつまでも一人しかいない。至極つまらん話やけど、触れたことのあるものからしか、何も得られんのですね。納得、というか、合掌。

2014-04-12 16:14:12