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tossy

アヒルが、ガーガー

宿題

カウンセリングのようなものを受け始めたのだが、次回までに「仕事 / 人間関係 / 趣味 / 自分の成長」のそれぞれについて、自分がどのようにしたいと思うのか考えてきてほしい、と宿題を受けた。

雑多に色々話している中では「自分のことを考えるのが苦手なのでは」という助言もあった。今更そんな分かりきったことを、とも思ったが、他者からそういうことを指摘されると、少しは自分も客観的に考えてみなきゃいけないかなと、思ったりしてしまう。

自分について考える。自分のために何をしたいか、自分の何を大切に扱いたいか、自分のどこを強みだと感じるか…役割期待オンリーで押し切ってきた 26 年だった故、どうしてもそういうことを考えるのをむず痒く感じてしまう。

でも『あなたは他人のことを考えられない、何を言われても変わろうとしないもの』というあの一言を、未だに引きずっている身としては、自分のことを考えられない人間に他人のことは思えないという帰着点も、同時に浮かんでくる。

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既にあるもの、持っているものに目を向けず、無いものや得られないものにばかり目を向ける。自らを顧みず、羨み、妬む。そのくせ、他者が「それ」を手にするまでにどのような過程を経たのかなどには興味を持たない。真似ようとも、学ぼうともしない。僕は今のところ、そういう人間なのだと自覚する。妬ましく、女々しい男なのだ。

そういう自分であることをまず受け止めるところから、再開の糸口を見出さなければならない気がする。形は醜く、決して褒められたものではないのだけれど、もし今の自分に上向くことを志向する感情の発露を見出すとするならば、やはり羨望や嫉妬しかないからだ。

向き合いたくない感情であるけれど、それにすら蓋をしたら、いよいよ何も残らない。本当、みにくいアヒルの子だ。

2013-06-23 11:50:29