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tossy

アヒルが、ガーガー

コンセプトとスケール

「胸が大きめの女性は、可愛いと思って手に取ったブラジャーでも、寸法自体が大きくなってしまうことで、自分のサイズじゃ何だか可愛く思えなくなりがち」という話を聞いたことがあり、すごく面白い話だと思った。

「寸法で可愛さが変わる」ということって、思いの外、世の中のいろんな箇所に溢れている。たとえば自分の経験で言えば、ユニセックスで楽しめるスニーカーとかで、小さめのサイズ(主に女性が履いている想定)で見たらすごく欲しいんだけれど、自分のサイズ(例えば 27.5cm とか)で実物を見たら途端に意欲が下がるというようなタイプのスニーカーがある。adidas で言うなら「ultra boost」はサイズが大きくても良さそうだが、それが「ZX FLUX」になると途端に許せなくなる、とか。

そういう「良いと思っても、サイズ感を鑑みた後に、関与しにくくなっちゃう」みたいなことは、おそらく自分がそういう感覚を大切にしたいと思っているが故に、よく感じてしまう。サイズ感、と言えば良いか、スケール、と言えば良いか。重く(大きく)なってしまうことで、元来のミニマムさが低減されてしまう場合、特にそういった感情を持ってしまうように思う。

【以下、飛躍】

書き下ろされたコンセプトが、その時点でのスケール(寸法)では魅力的に思えても、拡大縮小されたことにより、なんだか魅力が感じにくくなるということ。これについて考えると、その事象自体についてはうまく結論が思い浮かばないのだけれど、逆に言えば、そういう変更が生じてもなお魅力が上下しないコンセプトワークって、めっちゃすごいってこと。個人的にはそういう「スケールに左右されにくい」コンセプトに引っ張られて制作されたものの価値が、もうちょっと世の中で理解されてほしいなぁと思う。

作った人は「何を引き算したか」分かっていても、それを見る人には「何を引き算したか」はまず分からない。そんなこと考えなくても「いいものはいい」のかも知れないけど、でも「あらかじめ棄却された可能性たち」について、制作者の一万分の一でも思考を巡らせられれば、少しは呼吸のしやすい社会になるんじゃないかなぁ…と偏想しがちな昨今です。

素直に「洗練されすぎていると思考の余地を感じにくい」という、いつもの話なのかしら。でも最近デザインに対して、意味を求め過ぎなんじゃないかなぁという気がするし、別にそれは良い悪いではなく、今の傾向なのかなぁと思い、その程度の文脈感を持って状況を見守りたいなぁなんて思います。

2015-05-04 14:57:11