tossy

アヒルが、ガーガー

VOICE

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点と点をつなぎながら、自分が見聞きしてきたこととこれからを、一本の線にしていく。それは自分の内外において常に試みているはずのことであり、携えている感覚でなければならないはずなんやけど、どうも僕はそこがうまくできてへんままに、ここ数年を過ごしてきたのかもと、今の環境に身を置いてようやく気づき始めている。

オリジナリティとかアイデンティティとか、そういうのは殊更求める必要もないと思うのは、自分の感覚に様々な事象や出来事を収めていく他ない中で、その収め方は必然的に人それぞれなんやから、それを敢えて・声高に叫ばなくたってええやろという所から来ている。その部分については別に自信を持つ必要も、自負を感じる必要もない。逆に言えば一個人にできることなんてそれくらいしかないんやから、それを拡張するなり、外部接続するなりの方に意識を働かせるべきだ。

と書くと本当に当たり前のことなはずなのに、何年も忘れていた。いや、実際のところは変わらずそうはしていたけど、そうしている意識が無かったというか、それが「価値のあること」というよりも「そうしかできひん、自意識保護の墓場」的にしか思えていなかったのが実情か。

となると、それがどうして好ましい行為のように再認識できたのかとなると、それはつまり「あ、そういうことをして生きていっても良いのだ」という風に思うことができるようになったからだ。

自分の価値を決めるのは、自分ではない。だからこそ、どういう部分で評価されたいのか、どういう人ならそんな風に評価してくれそうか、ちゃんと考えて動かないと詰むということか。本当に「当たり前のこと」に驚いてしまう春だわ。

2014-04-04 14:46:21