tossy

アヒルが、ガーガー

1mm

なんてことない そんなわけない ただ
現実はずっと想像の上を行く
覚悟がまだまだ 1 ミリも 足りないままで

1mm

1mm

そういうものたちって、好奇心と言えば良いのか、余計なお世話と言えば良いのか、他人の不幸は蜜の味と言えば良いのか。いずれにせよ、自分も含めた「愚民共」と、それに相対することの意味をこれっぽっちも理解していなかった担当者たちの振る舞いによって、随分酷いニュースで賑わっている毎日。

敢えて触れる必要が無いことなんてこの世の中にいくらでもある。そういう事象というのは、不可避に訪れるものであって、自分から近づくような類のものではない。キレイなもの、美しいもの、よく考え抜かれたものだけに触れていたいなんて言うと、きっとバカにされる。でもそう思わない限りは、1mm も近づき始められない。

近づかなくて良い事象について、何も準備が無いというのは、しかし心許ない。近づきたい状態について、経験が乏しいからと言って諦めてしまうのは、勿体ない。リスクもチャンスも、想像するしか、しょうがない。

だから、思うのだ。いつまでもこんなことしかできず悔しいが、それでも、思うのだ。自分にとって心地良いというのは、そういう「境地に至ること」ではなく、そういう「想像に努め続けること」であったり、そういう「試みを積み重ねていくこと」であったりのことを言うのだ。普遍の境地なんて無いのだ、絶対に。それだけは過去が証明している。

幸せになりたいなんて表現は、間違っている。表現そのものが不確かで、不穏当ですらある。幸せであろうとしたいなら、まだ少しは馴染める気がする。

と、ここまで書くと、自分が「一生幸せになんてなれない」という思いを持っていることの理由が自明になる。それは「表現として成立しないから」だ。うん、なんか納得した。

なので、幸せであろうとしたいので、楽しいことだけをしていようと思います。したいかしたくないかも、良いか悪いかも問わず、楽しいことだけを次々と試してみようと思います。

2014-04-09 11:15:01