tossy

アヒルが、ガーガー

のために

誰のために生きるのか。何のために働くのか。そういう「のために」が分からなくなって、今回は止まった。

ずっと一人でいると、自分が特別なんじゃないかって思っちゃうわよね。一人でいると、確かに、その他大勢には、ならないもの。でも、それはなれないだけ。 笑っちゃうわ。

とても浅はかだっただろうし、無理もしてはいたんだろうけど、それが「受け止める」ということなのだと思えていた。止まったら澱む、ということも、止まったことがあるからこそ理解していたつもりだった。けれども、止まって、澱んだ。

結局は、何も受け止められておらず、何も理解できていなかったということなのかなぁ。それでいてこうして留まり続けているというのは、動くべきだと思いつつ動き方が分からないことを理由に寝ていることは、やっぱり卑怯なのだろう。

センチメンタルが過ぎるのだ。おこちゃま過ぎるのだ。周りに羨望し過ぎなのだ。煮ても焼いても食えない、26 歳の夏は気付けば冬に変わっていました、という今。